International Satoyama Intiative

SATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ(IPSI)は、持続可能な社会生態学的生産ランドスケープ・シースケープ(SEPLS)の価値を世界で広く認識してもらうことによって、その保全と再生を促進する取り組みです。

農業を始めたマサイ

提出機関: ---
提出日: 03/05/2010
カテゴリー:
  • 凡例:草地
  • 凡例:農地
地区: リフトバレー州 ロイトキトク
国名: ケニア
詳細地図: 詳細地図(Google map)
要旨: ケニアのリフトバレー州ロイトキトクでは、遊牧民であるマサイ族が、伝統的に牛を中心とした食生活を送り、生活に必要なものほとんどを与えてくれる牛に対して尊敬の念を抱いてきた。マサイ族はまた、牧畜に必要なサバンナ植物と、自分たちが利用する薪や薬用植物などの自然資源を利用してきた。

1974年以降、人口増加と干ばつを背景に、マサイ族は農業を中心とした生活にシフトし始めている。年配者が指導的役割を果たしていて、コミュニティの団結力が強いマサイ族は、旱魃によって疲弊はしていても、ウシの牧畜を通じた伝統的な生活の維持を願っている。一方で、現金収入源としての農業の試みも続けている。彼らが最も求めているのは、現在の乾燥化の状況に対応する知識と技術である。

サバンナではマサイと野生生物の、お互いを排除しない関係が長く続き、多くの野生生物の生息地になってきた。マサイの人々の生活が伝統的なものから変化すると、サバンナの環境も変化するであろう。彼らは今まさに変化の途上で生業選択の岐路に立っている。
キーワード: マサイ、サバンナ、旱魃、生業選択
著作者について: 市河 三英 財団法人自然環境研究センター・主席研究員。専門は森林生態学。東南アジアにおいて、食用野生生物に関する情報を集めている。2008年よりSATOYAMAイニシアティブ業務に参加。これらのプロジェクトを通じ、長きにわたって他の生物と共に生きてきた先人たちの知恵を見聞きしている。自身も野生生物を尊敬している。

松島 昇 専門は社会経済学。様々な途上国の人間活動と自然資源管理の望ましい関係について、幅広く関心がある。1989年以降、東南アジア、中国、中近東、アフリカ、南米そして太平洋諸島などの農村地域において数多くのフィールド調査経験があり、有用な提言をしている。
関連リンク: ケニア ワイルドライフ サービス
ケニア農業省
ケニア環境・鉱物資源省
LUCID (Land Use Change, Impacts and Dynamics)
マーサイ協会

ケニアのリフトバレー州ロイトキトクでは、牛の遊牧民であり伝統的に牛以外のものを食さなかったマサイ族の一部が近年になって農業を始めた。背景には、村の長老が「過去になかった」というほど厳しい乾燥化がある。変化の途上にある彼らを取材し、伝統習慣や農業を始めるに至った経緯、現在抱えている問題や今後の希望などを聞いた。
写真 1 ロイトキトクの農地景観 (写真 自然環境研究センター)

1.調査地および方法

ケニアは国土の8割が半乾燥地域で、主な植生はサバンナである(1)。調査地ロイトキトクはキリマンジャロの北麓に位置し、山からの伏流水があるために農業に適した土地である(写真1)。現在首都ナイロビから通じる車道が整備中で、農業地帯としての発展が期待されている。近隣にはアンボセリ国立公園がある。コミュニティリーダーおよび、エントネット地域評議員の協力を得て、ナメロック村の、女性を含む各年齢層の代表21人を集めてワークショップを開いた。サバンナの生活や農業を始めた経緯、将来の希望を聞いた(写真2)。

写真2  Namelok村のワークショップ (写真 自然環境研究センター)

2.調査結果

2-1.自然資源と共にある生活

マサイはタンザニアからケニア西部にかけて分布する遊牧民族である。マサイの生活は牛と共にある。彼らは乳、血、肉、油、皮といった、マサイの生活に必要なものほとんどを与えてくれる牛に対して尊敬の念を抱いている。マサイが利用する自然資源は、牧畜に必要なサバンナ植物と、自分たちが利用する薪や薬用植物などである。サバンナの劣化はマサイの生活に直接影響する。

・成人の儀式

マサイの男は18歳になると成人する。割礼して、ライオン狩りに加わることが儀礼であった。現在ライオン狩りはケニア政府によって禁止されており、40歳以下のものはライオン狩りの経験を持たない。ライオン狩りが許されているのは、ライオンが牛を狙いに来たときのみである。今の若者の成人の儀式は割礼とその後の森の生活のみである。

・何を食べてきたか

マサイは牛の血、乳、肉しか口にしなかった。牛の血は、一番元気な牛を選んで約2リットル採る。食し方は、①生の血をそのまま飲む、②牛乳に混ぜて飲む、③油と混ぜて温め、少し固まったものを食べる、などがある。牛乳は生乳のほか、ひょうたんに入れて3日ほど寝かし、発酵させて食べる。牛を殺して肉を食するのは、①子供が生まれたとき、②割礼のとき、③結婚式、④葬式のとき、⑤戦士として森の中で生活するときのみである。

彼らは野菜も一切食さなかった。ライオン以外の野生動物を殺すのも民族のタブーである。50代の女性が牛以外のものを口にしたのは1961年がはじめてであった。その年厳しい旱魃に襲われ、政府が飛行機でトウモロコシ粉の袋を配った。そのとき初めてウガリを作ってもらって食べたことが、幼少の彼女の記憶に残ったと思われる。近年はマサイの村でも牛以外の食材が広がっているが、年配の男性にとってはチキンすら好んでは食べていない様子であった。

・薬用植物について

マサイはいくつかの野生植物を薬用利用している。ワークショップの参加者によって紹介された薬用植物の例を表1に示した。マラリア、止血、下剤や虫下し、目薬、腹痛、生理痛、胎盤排出など生活に必要な薬が揃っている。表中の一例に、近年の食生活の変化によってマサイ人の体質が変わり、薬の効き目が激化したために使われなくなった植物もあげられた。これを除いて他の植物は今も使われている。しかし、近年は病院ができたので、医薬品を利用することが多くなっている。

表1 マサイの薬用野生植物

マサイ語 学名*1 利用部位 効能 備考
Olkiloriti Acacia nilotica 多くの病気に効く IUCN レッドリストカテゴリー

軽度懸念  (LC)

マラリア
Olmame 淋病*2
Olmukutan マラリア 近年、この薬草は使われていない。

この薬草が体に大きな負担を与えるようになったことが理由で、彼らはそれを近年の食生活の変化によって体質が弱くなったためと考えている。

虫下し
Olemit マラリア
Olkisikoni アレルギー
Osokonoi 下剤
Olkonyil Rhamnus prinoides 根・葉 腎臓病
Esukuroi 目薬
Entulelei Solanum mauense 止血 Sodom apple (英名)
根*1 マラリア, 胸痛*1
Empere-Epapa 腹痛
Olmairo-ngiro Plectranthus kamerunensis 生理痛
Olosukii Zanthoxylum usambarense 子供の食欲増進
Olekikareta 胎盤の排出促進 助産婦が持っている

*1: H.J. Beentje, Kenya trees, Shrubs and Lianas, 1994, National Museum of Kenya (2)

*2: http://www.etsumi.jp/africa/kiswahili/majina/magonjwa.html

2-2.農業を始めたきっかけ

彼らは1974年にNamelokに定着した。彼らが農業を始めたきっかけは人口増加と旱魃であった。定着後、村の人口が増加したために牛だけでは維持できなくなった。このため1990年代に自ら畑を作り始めた。また、1980年代から旱魃が顕著になりはじめた。多くの植物の姿が見られなくなり、時々降る大雨で土が流されるようになった。年配のマサイは、「1980年代以前は旱魃があっても短い期間であった。近年の旱魃は期間が長く、以前にはなかった厳しいものである」といった。ケニア政府は2001年にこの地域のマサイ族に対して、1世帯あたり10エーカーの非灌漑農地、あるいは5エーカーの灌漑農地を分譲する政策を始めた。Namelokの人たちは灌漑農地を得た。彼らが農業を本格的に始めたのはこの年からである。

しかしながら、このマサイ人たちは、生業である牛の牧畜を放棄していないことに留意しなければならない(写真3)。農業を始めてマサイの習慣も変わってきているが、彼らは生業を転換したのではない。特に年配のマサイにとって一番大事なものは今も牛である。10ヘクタールの非潅漑農地の分譲を受けたマサイは、多くの人がその土地を売って現金を得ただけで農業を選ぶことなく、牧畜を続けている。このことも同じ気持ちの表れであると思われる。

写真3 干ばつで痩せた牛にトウモロコシの茎や葉を 与える村人  (写真 自然環境研究センター)

2-3.農業の現状

・灌漑農地

水源からの水は週1回、4時間だけ入る(写真4)。主な作物は、トマト(8-11月)、豆(12-2月)、トウモロコシ(3-7月)、(場合によってタマネギ,あるいは休耕となる)で、これらを輪作している。肥料は家畜糞の堆肥、下草取りは鋤を使った手作業である。仲買人が村に来ないときは、ナイロビやモンバサに販路を開拓していた。潅漑農業の問題点として、①良いマーケットを持たないこと、②作物に病気の適切な対処法を知らないこと、③問題解決を指導してくれる専門家がいないこと、などがあった。

写真4 潅漑農地 (写真 自然環境研究センター)

いくつかの課題はあるが、若い世代は農業を前向きにとらえていた。農作業を厭わず、現金を手にすることに肯定的であった。将来の希望として農業の発展を考えていた。女性たちは、牧畜よりも農業の方が自分たちの労働時間が長くなることを嘆いたが、否定的な意見は持っていなかった。

・非灌漑農地

ロイトキトクで任意に取材をした非灌漑農地の農主はキクユ族であった。彼はマサイから人づてで土地を購入していた。36エーカーの農耕地を所有し、トウモロコシと豆を栽培していた。農作物の病気には農薬で対応し、収穫物は近隣の市場に出していた。また、旱魃の問題に対しては、井戸を掘ることを試みていた。ロイトキトクはキリマンジャロの伏流水があり、ケニアでも有数の農業地帯になりつつある。キクユは元来農業をしていた民族で、彼らのようなベテランにとっては、この地で十分な収穫を得ることは困難ではない。

3.結論

・日本の里山とサバンナの外見的な違いと本質的な共通点について

サバンナは平坦な地形に、同じような景観が彼方まで続く。耕作地も広く連続する。しかし実際にはそれらの景観の中に水場、家屋、牛囲いなどがあるので、大面積集約農場でもなければ、人の立ち入らない原生林でもない。日本やインドシナで見られる、1ha程度のスケールで二次林や水田、川や集落が並ぶモザイク構造とは外見的に異なる。ケニアの人々はこうした場所で、ライオンの脅威にさらされながらも牛の牧畜を行い、薬草を採取し、水を汲み、子を生み育ててきた。その意味では、このサバンナは現在のインドシナや60年前の日本の里山と同質のものである。里山の要素としてモザイク性を求めるとき、重要なことはパッチサイズではなく、必要な要素がそろっているかどうかである。

・伝統知識と現代の科学知識について

この事例のマサイは、サバンナの自然資源を利用した生業たる牧畜と、現金収入を目指す潅漑農業の両面の生活様式を備えている。伝統的生活の面でマサイは、牛の血、乳、肉しか食さず、サバンナから薪と薬用植物を得るだけの生活様式を持ち、ライオン狩り戦士の育成によって捕食者たるライオンに圧力をかける一方、それ以外の野生動物は殺さない掟をもっていた。サバンナで野生生物と共存しつつ持続的な資源利用をはかることができる、完成された仕組みであった。しかし、市場経済の影響や、野生生物の管理状況の変化そして大きな環境変化から、この伝統様式は現状に合わないものとなった。彼らは経験のない旱魃に対して牛を維持する方法を求めている。また、新しく始めた農業に関しては、問題に対応する農業技術や知見を求めている。こうした状況には、現代の科学知識が対応しなければならない。それを農民に伝える仕組みが必要である。

・新たなコモンズの創造について

「新たなコモンズの創造」として、生態系サービスを利用したビジネスモデルが提案されることがある。例えばナミビアの乾燥地帯では、季節河川の河畔林に生息するゾウを観る、住民参加型のエコツーリズムが海外NGOの主導で行われ,先細る牧畜から生業を転換した村人の収入源となっている(3)。

マサイは今,慎重に農業に取り組んでいる。年配者が指導的役割を果たしていて、コミュニティの団結力は強い。近年の旱魃によって疲弊しているが、ウシの牧畜を捨てておらず、生業たる牧畜と現金収入源としての農業の二重経済(4)の状態といえる。この村には今のところ生態系サービスを売り物にした外部のビジネスは入る余地がない。なぜなら彼らは生業を転換する意思を持っていない。彼らが求めているのは、現在の乾燥化の状況に対応する知識と技術である。そのために若者らは教育の機会を得たいという希望を持っていた。新たなコモンズの創造というとき、それは必ずしも生態系サービスを利用したビジネスモデルの導入である必要はなく、生業を支えるための人材支援システムあるいは情報ネットワークというものであっても良いのである。

サバンナではマサイと野生生物の、お互いを排除しない関係が長く続いてきた。そこは保護地域ではないが多くの野生生物の生息地にもなっている。マサイが、野生生物と共存する伝統的生活を続けてきたからこそ、この環境が長く維持されてきた。マサイの人々の生活が伝統的なものから変化すると、サバンナの環境も変化するであろう。一般的には持続的でない利用をすると、たいていは生物多様性を減じる方向に変化するものだ。本事例で紹介したマサイの人々は、今まさに変化の途上で生業選択の岐路に立っている。彼らは牛の牧畜を手放したくはない気持を持っている。しかし、生活は支えなければならない。彼らが望む自然に親しい生活をサポートすることは、サバンナの生物多様性の劣化を防ぐことと同じなのである。

参考文献

(1) 水野一晴編,アフリカ自然学, 古今書院, 2005

(2)  H.J. Beentje, Kenya trees, Shrubs and Lianas, National Museum of Kenya, 1994

(3) 吉田美冬「ヒンバと砂漠ゾウ」地理10月号Vol.52,p92-97, 2007

(4) 湖中真哉 牧畜二重経済の人類学 世界思想社 2006